日本人と将棋まとめ


日本人と将棋

〜ゲームと人間の関係をめぐる一考察〜


まとめ

 将棋が現在のように愛好されている要因について、以上のようにいくつかの視点に基づいて考えてきたわけであるが、今まで取り上げてきた中で何が重要な役割を果たしているのだろうか。そのことについて検証していこう。まず、その点について考える前に今までの議論について簡単に振り返ってみよう。

一章では、将棋のゲームとしての性格・その特徴について見てきた。この章では、日本将棋の特徴について、世界各国の将棋や囲碁などの他のゲームと比較しながら、考えてきた。その結果を整理すると、日本の将棋は次のような特徴を持っているといえる。日本の将棋は、その基本においては、一対一で勝敗を争うゲームであり、ゲームの過程においては個人の知的思考能力、すなわちゲームの技能のみが問われるゲームである。他にもそうしたゲームは、日本以外の国の将棋や囲碁など多数存在している。日本の将棋は他国の将棋に比べて、高い複雑性を持っており、勝敗を争うゲームとしては致命的な引き分けがほとんどない。また、数学的には囲碁の方が複雑性が高いのだが、将棋はゲームが進行するにつれて複雑性が増すという性質があり、逆転の可能性がゲームの最後の方まであるというスリリングなところがある。こうした将棋の特徴は実は日本古来の格闘技と類似している。相撲などの格闘技は勝負を決めようとする瞬間がもっとも危険であり、ぎりぎりの差を保って勝たなければならない。この点は将棋でも共通であって、ある意味で日本独特の性質を持っているといえよう。このような将棋の特徴は、駒の再使用ルールという日本の将棋に独特なルールによるものであり、このルールの存在こそが将棋の持つ独特の特徴のもとになっているのである。

 二章に入って、将棋の歴史についてみていくと、こうした駒の再使用ルールは、偶然と日本人の価値観がうまく組み合わさってできたものであることが分かる。このほかにも、将棋は、伝来当初からいくつかの改良が加えられ、現在のような形となったことが分かるだろう。そして、社会との関係で将棋を見ていくと、将棋の普及にはいくつかの転換点があったのがわかる。何といっても徳川家康の存在は見逃せないだろう。将棋を愛好していた彼が家元制度を作ったことは大きく、それによって将棋は広く認知され普及することになった。そして、江戸幕府を開き戦国の世が終結したことで、世の中が平和になり娯楽が広まることになった。また、中将棋よりもより平易で道具も安価な小将棋が主流となったことで、庶民にも将棋が普及することになったのである。明治期以降、大きな役割を果たしたのはメディアの存在である。新聞が将棋を取り上げ、プロ組織の確立を助けたことで将棋の人気は堅固なものとなった。そして、その流れは現在でも続いている。

 三章に入って、現在の状況を見るとプロ組織の存在が大きな意味を持っているといえる。プロの存在は、人々の注目と関心を将棋に向けさせるのに大きく役立っており、また、普及の面でも大きく貢献している。そして、そうしたプロ組織を支えているのがメディアであり、プロ組織のスポンサーとなっているだけでなく、将棋界の話題を取り上げて人々の関心を将棋へと呼び込んでいる。

 四章の分析では、まず、将棋を指している人が将棋を面白いと感じている理由について述べた。その理由として挙げられるのは、勝ったときのうれしさ、勝負の駆け引きの面白さ、ゲームとしての奥の深さ、知的な思考と戦略などの要素、一対一の真剣勝負であるなどである。これらの項目をみると、将棋の持っている特徴が、魅力として受け入れられていることが明らかになっている。一方、つまらないと感じる理由については、実力差があるとつまらないとか負けたときの悔しさが大きいなどが挙げられ、将棋の持つ特徴と勝負の厳しさを示している。また、その他に面白さの一つとして、将棋の中に内在する芸術的感覚があり、日本人の美意識に訴えかける何かが存在しているとも考えられる。一方、実戦以外の将棋の楽しみ方にも、様々なものがある。とくに近年増えているプロ棋界に関する楽しみ方の存在は、新しい将棋の楽しみ方を提示している。ゲームとしての楽しみ方の他にもこうした楽しみの存在するのは興味深いことである。

 以上のように将棋が高い人気を保っている理由につながるいくつかの要因が明らかになった。このいずれもが将棋の人気に寄与していることは間違いない。しかし、四章の分析で明らかのように、実際に将棋を指している人にとって、将棋の持つゲームとしての特徴に人々がひきつけられる理由があるようである。

 したがって、歴史上に重要な出来事である家元制度の発足にしても、メディアの支援にしても、将棋の人気を更に強固にすることに貢献したに過ぎないと考えるべきではないだろうか。家康が将棋を愛好していたことは、すでに将棋の人気が確立していたことのあかしだと考えられるし、家元制度を作るに至ったのも将棋がそれだけ高い認知を得ていたことを示している。また、メディアが将棋を取り上げたのは、すでに将棋が娯楽として大衆に普及し確立した人気を得ていたからだと考えられるのである。

 これは、現在においてメディアが、プロ組織のスポンサーとなっていることの理由でもある。もちろんこうした歴史上の出来事、現在における将棋界のあり方は将棋の人気にある程度寄与していることは間違いないが、将棋が人々に愛好されている主たる要因は、やはり、将棋のゲームとしての特徴に求めるべきなのである。では、将棋の持つ特徴の何が多くの人をひきつけているのだろうか。その理由として、将棋が知的思考ゲームとしてきわめて高い完成度を持っていることが挙げられる。駒の再使用ルールを始めとするいくつかの要素が、将棋を複雑で、最後まで勝負が分からない密度の濃い面白さを持つものにしている。勝負の駆け引きの面白さも含め、それぞれの特徴においてその特徴を奥行きの深いものにし、高い魅力をもたらしているのである。

 ゲームの奥の深さは、強くなればなるほど深いものに感じられ、いつまでたっても極めることのできない感覚を与えていると考えられる。そして、勝負が最後まで分からず、ぎりぎりの差を保って勝つことが求められることは、勝敗を争うゲームにあって、勝負を厳しいものにしているといえる。勝負の厳しさは、勝ったときの大きな喜びにつながるものであり、極めることができないと感じさせるほどの奥行きの深さと合わせて大きな魅力となっていることは間違いない。

 結局、将棋の持っている奥の深さと勝負の厳しさこそが、人々をひきつけている最大の理由だと私は考える。そして、駒の再使用ルールに見られるように、より面白いものを求める人々の探求が、将棋を現在のような形にしたのだということができよう。すなわち、現在の将棋があるのは、新しいものを創造しようとする探求心のたまものであると言っても過言はないであろう。