日本人と将棋第三章


日本人と将棋

〜ゲームと人間の関係をめぐる一考察〜


第三章 将棋の世界

第二章で述べたように将棋は、日本において様々な歴史を経て定着し、現在に至っている。そして、現在においても将棋は多くのファンを持ち一定の位置を築いている。では、現在の日本において将棋はどのように愛好されているのだろうか。

 まず、将棋ファンはどのように将棋と接しているのだろうか。将棋を楽しむ人は、基本的には、将棋を指すことによって楽しんでいる。ただ、その他にも楽しみ方はあって、プロの将棋界の動きを楽しむとか、詰め将棋を楽しむなどの様々な楽しみ方が存在している。しかし、基本は将棋を指すことにある。そこでその点について述べてみよう。将棋は、当たり前のことであるが二人で楽しむゲームである。したがって、その相手をどうやってみつけてくるがが重要な問題である。多くの場合は、友人・知人あるいは同じ職場や学校の人や近所の人であろう。また、学校や職場では、将棋の好きな人が集まっていてクラブや同好会を作っている場合もあり、そうした場合にはそこに所属して楽しむことになるだろう。しかし、そうした場合には、相手が限定されてしまう。したがって、不特定多数の人と将棋を楽しみたい人は、将棋クラブや将棋道場と呼ばれるところで将棋を楽しんでいる。将棋クラブ・将棋道場は、いろいろな相手と将棋を指したい人が集まるところで、一定の料金を払うことで、自分の棋力にあった相手と対戦することができる。これは、囲碁における碁会所などと呼ばれるところと同じである。また最近では、TVゲームの将棋ソフトで対局を楽しむことができるし、パソコン通信などで見ず知らずの人と楽しむことができるシステムなどもあり多くの人に楽しまれている。

 将棋ファンにとって、やはり対局が基本であるが、実力をアップするためにそれに関連して対局と異なった活動を行っている。それは、例えば定跡書を読んだり、棋譜1を並べる、詰め将棋を解く等の活動である。こうした活動は、実力の向上のため欠かせず、実戦と並んで重要で、将棋に関する数多くの書籍が現に出版されている。実戦以外の活動の方に興味を持っている人も多く存在しており、特にプロの将棋界の動きに興味を持っていて、自分ではあまり将棋を指さない人も多い。しかし、熱心に対局し実力の向上を目指している人間も多い。アマチュアにおいては数多くの将棋の大会が開催されており、その地域レベルの小さな大会から全国レベルで行われるものまで数多く存在している。また、小学校から大学まで各レベルでの大会もいくつか存在しており、個人ではなく団体で争う大会もある。アマチュアの主な大会を示したのが表2である。熱心な将棋ファンはこうした大会での好成績を上げることを目標に努力しているのである。

表2  表2のように全国レベルの大会の多くは新聞社が文化事業の一つとして開催したり、日本将棋連盟が普及のために開催していることが多く、全国レベルの大会のほとんどは、新聞社や日本将棋連盟が主催・共催・後援等の形で関係している2。また、その他に企業・団体等がスポンサーとして関係していたり、学生だけの大会などでは、その各レベルの組織が関係していたりする3。アマチュア独自の組織としては、日本アマチュア将棋連盟が存在しているが、実際にはプロ組織である日本将棋連盟の影響が強く、アマチュアの世界に大きな影響力を持っている。日本将棋連盟は、アマチュアの級位・段位の免状を発行しており、アマチュア愛好家を集めた支部を各地に作るなど様々な将棋の普及活動を行っている4。支部とは、アマチュアの愛好家が10人以上集まって作る日本将棋連盟公認の同好会のようなもので、全国に655支部あって、17296人の会員がいる。(平成9年1月8日現在)

 では、将棋界唯一のプロ組織として存在する日本将棋連盟とはいったいどういった組織なのだろうか。日本将棋連盟は、日本将棋の普及発展等を目的とする社団法人で、四段以上のプロ棋士によって組織されており、彼ら自身によって運営されている5。実際、その日常の運営は、年一回開かれる棋士総会によって選出された理事によって行われており、理事の中から選ばれる会長が全体を代表している6。プレイヤー自身によって運営されているプロ組織は極めて珍しいといえるだろう。たとえば、囲碁の場合、プロ組織の日本棋院は財団法人の形式を取っており、戦前に大倉財閥を中心とした財界人の支援によって設立された組織であって、棋士のための後援団体の性格を有するものであった7。それに対して将棋界にはそういった財界の庇護がなく、棋士達自身が自分達の待遇向上のために、社団法人としての将棋連盟を設立したのである8

 こうした経緯で設立された日本将棋連盟は、いくつかの事業・活動を行っている。まず挙げられるのが棋戦の開催であり、プロ棋士が参加する棋戦として、報道機関を中心とするスポンサーと契約して、七大タイトルと呼ばれる名人戦、竜王戦、棋聖戦、王位戦、王座戦、王将戦、棋王戦のタイトル戦9、そして、その他の棋戦として全日本プロ将棋トーナメント、NHK杯テレビ将棋トーナメント、早指し将棋選手権戦などを開催している10。主な棋戦とスポンサーは表3のようになっている。表3日本将棋連盟は、棋戦を主催する新聞社・TV局などのスポンサーと独占的にその棋譜を提供したり、対局の模様を公開する契約を結ぶことで契約金を受け取り、収入を得ている11。では、対局はどのように行われるのだろうか。対局は、タイトル戦などの特別な対局を除いて、通常東京と大阪にある将棋会館で行われる。一般にプロの対局は双方に持ち時間と呼ばれる考えるための時間が通常4・5時間与えられて行われる12。また、タイトル戦クラスになると二日掛かりで双方9時間というものもある13。1日掛かり2日掛かりで行われる対局の様子をリアルタイムですべて見ることは一般の人には難しいことであり、対局自体も例外を除いて公開されておらず、こうした対局の模様は観戦記として新聞に掲載され、人々はそれを通して楽しむのが普通である。観戦記は、指し手の記録の棋譜に観戦記者と呼ばれる専門の記者が指し手の解説と対局の様子を付け加えて作られるもので、その将棋の面白さを伝えてくれる。対局の模様を直接見ることができる機会としては、テレビでの対局がある。テレビでの対局では一定の時間で納まるように持ち時間が短縮され、観戦する人々にとってなじみやすいものになっている。

 日本将棋連盟は棋戦を開催する他にいくつかの活動を行っている。それは、月刊雑誌や棋書の発行や大会・行事等の開催である14。月刊誌としては『将棋世界』があり、その発行部数は約22万部である15。また、先述したようなアマチュア大会の開催・支部の開設等がこれに含まれる。こうした活動は将棋の普及を目的とするもので、日本将棋連盟の目的に添った活動として行われている。日本将棋連盟の将棋界に対する影響力は絶大であり、普及の点でも大きな功績を挙げているということができよう。多くのメディアを中心としたスポンサーが存在しているのは将棋が一定のファン層を持っているからであり、日本将棋連盟にとってこうした普及活動は大きな意味を持っていると言えよう。

 プロ棋士は、四段以上のことを指し、現役のプロ棋士は、現在約150名いる16。彼らは、日本将棋連盟の公式棋戦に出場する義務を負っており、出場して対局することによって、順位戦のランク・棋士になってからの年数・段位などによって決定される基本給と勝ち進むにしたがって手にする対局料・賞金などを日本将棋連盟から受け取る17。ちなみに基本給については決まった金額が毎月支給され、また、対局料は対局をするごとに受け取るものでトーナメント戦を勝ち進むにしたがって増えていく18。そして、賞金は優勝等の好成績を挙げた場合手にするもので、これらの合計が、彼らが手にする主な収入となっている19。ちなみに棋士の平均収入は約950万円である20。ただ、賞金・対局料等は一部の強い棋士に集中する傾向にあり、例えば、1996年度の例で見ると、獲得賞金・対局料のランキングは一位の羽生善治が1億6145万円なのに対し二位の谷川浩司は5069万円とかなり差があり、以下3398万円、3111万円、3104万円と続き、十位で2178万円、1000万円を超す棋士が36人となっている21。このように獲得賞金・対局料は一部の棋士の集中する傾向にある。したがって、勝ち星が少ない棋士は、当然収入も少なくなるので、その他に副業として、将棋に関する文章を書いたり、アマチュアの人に指導対局をしたり、将棋教室を開いたり、将棋のイベントに出席したりするなどして収入を得ているケースも多い22。また、将棋連盟の普及活動の一貫として、将棋連盟の依頼によって、アマチュアへの指導対局やイベントへの出席の仕事が入る場合もある23

 彼らの生活は、スケジュールの点で見た場合には、そうした副業を入れない限りは、ごく少数のスター棋士を除いて、比較的余裕がある。すなわち、プロ棋士の年間平均対局数は40局ぐらいであり、一局は普通一日で終わるので、年間で対局に費やすのは40日に過ぎない24。したがって、他に副業を持ってない場合は、それ以外は自由な時間となるわけで、比較的自由のきく仕事であると言える。ただし、将棋の実力を維持するために常日頃の練習・研究は欠かせないので、そうした努力が必要である25

 では、プロ棋士になるにはどうすればいいのだろうか。日本将棋連盟には奨励会と呼ばれるプロ養成のための組織があり、六級から三段までの奨励会員が在籍している26。年一回開かれる奨励会の試験に合格し入会した奨励会員は互いに対局を通じて競い合い、成績優秀者は上の級や段へ昇級昇段していく、そして、三段が全員集まって年二回開かれる三段リーグで成績上位二名に入ると晴れてプロ棋士四段となることができ、はじめてプロとして収入を得ることができるのである27。プロになれるのは年間わずか四名であり、また、26歳の誕生日までに四段に上がれないと、奨励会を退会しなければならない28。年間奨励会の試験に合格して入会するのは、十数名であることを考えるとかなりの狭き門であると言える29

 奨励会に入会するのは遅くとも中学生ぐらいであることが望ましく、また、合格するにはアマチュア四段位の実力が必要とされる30。したがって、プロを目指すには幼い頃から英才教育を受ける必要があり、また、生まれ持った才能も重要である31。プロになるには、同じような才能を持つ若者達との競争に打ち勝たねばならず、プロになれなかったとしても身分の保証はない32。このような厳しい道を勝ち抜いたものだけがプロになれるということもあり、そのレベルは高く、アマチュアとはかなりの差があると言われている。このことは奨励会の六級になるのにアマ四段位の実力が必要であると言われている事実からも類推できる。

 プロ棋士は実力と名声を兼ね備えた存在で、人々の人気と注目を浴び、将棋の普及に一役買っている。かっては、大山・升田と言ったスター棋士が存在したし、現在も羽生のような棋士がいる。こうした棋士は、将棋を愛好している人々の目標となるような存在であり、卓越した技術によって将棋というゲームの持っている奥の深さを表現し、将棋に対する興味をより深いものにしてきた。そして、しばしば、メディアに登場しその活躍だけでなく、その個性や人間味、言動などによって人々の注目を集めてきた。そして、トップレベルの棋士だけではなく、底辺にいる棋士もアマチュアへの指導を通じて将棋の普及の面で活躍している。将棋のファンに直接接し、ファン層を広げるのに一役買っている彼らの存在もまた重要である。

 もっとも将棋のプロに対する社会的な認知度は野球などのプロスポーツに比べてまだまだ低く、その存在についても広く認知されるようになったのは最近のことである。将棋を理解するには指し手の解説が必要であるし、目に見える動きがあまりないため見せるという要素に乏しい。しかも通常の対局は長時間に及び、最初から最後まで見ることは一般の人には難しい。その点ではっきりと目に見える動きのあり、ある程度の時間で終わるスポーツと比べて興行としては成り立ちにくい。テレビの対局や一部の公開の対局は、持ち時間を短縮することで興行として成り立たせる工夫をしているが、プロの実力が発揮されるのは持ち時間の長い将棋である。また、観戦記やプロの対局を見て理解するにはある程度の実力が必要で、プロの将棋を楽しむには自分自身も将棋のプレイヤーである必要があるといえる。もっとも、最近では、将棋を指さないで、プロの将棋界や特定の棋士に興味を持つファンも増えており33、将棋が興行として発展する可能性もあると言える。

 しかし、現状としては将棋の世界がプロとして成り立っているのは、多くの人々に愛好されているという事実のみによるものではなく、新聞・テレビ等の報道機関が娯楽としてだけでなく文化として評価し、スポンサーとなっていることが大きいように思われる。将棋のプロ組織の収入の大半はこうしたスポンサーであるメディアによるものであるし、また、こうしたメディアにプロの将棋界の様子が取り上げられることで、将棋に対する世間の認知度は高くなっていく。そして、活躍している棋士はたびたび紹介されスター化される。こうして生み出されたスター棋士の活躍が報じられることで、さらに世間の注目を浴び、将棋自体の人気も拡大することになるのである。もちろんこうしたメディアは将棋の持っている人気に着目して、読者の興味をひくために将棋を取り上げ、スポンサーとなっているわけだが、こうしたスポンサーとしてのメディアの存在がプロの組織の存在を支えているといえるだろう。