将棋は、二人のプレイヤーが敵と味方に別れて、9×9、計81の枡目を持つ盤上での中に並べられた双方8種類20枚の駒を一定の動かし方に従って動かしていき、相手の駒を奪って自分のものとしながら、最終的に相手の王様を詰ますことを目的とするゲームである。将棋は一対一で勝ち負けを争うゲームであり、互いの条件は対等になっている。そして、ゲームにおいて問われるのは、あくまでそのプレイヤーの持っている思考能力であり、将棋というゲームにおける技能の高さであって、偶然の要素は存在しない。カイヨワの分類に従うならば、将棋は競争の遊びに属するゲームである
1。しかし、競争の遊びに属するゲームは将棋だけではない。例えば、日本以外の国における将棋の類や囲碁などもこの分類に属している。では、将棋の固有の性格とはどのようなものだろうか。そこで、将棋が他のゲームと比べた場合どう違っているのか、他のゲーム・スポーツ等との比較を通じて考えてみたい。
世界各国には日本の将棋に似たゲームが数多く存在している。その代表例が西洋のチェスであるとか中国における象棋などであり、その他にもタイや韓国など多くの国に存在している。こうした将棋の類はその外見や細かなルールにおいては異なっているがその基本的な要素においては同一である。そして、これらはすべて古代インドに存在したチャトランガを起源に持つとされている。このチャトランガがシルクロードなどの交易路を通じて、各国に伝わりいくつかの改良が加えられた結果、現在のような形になったのである。
では、将棋の起源である古代インドのチャトランガとは、いったいどういったゲームなのだろうか。チャトランガは、四人制のものと二人制のものが存在しているのだが、四人制のほうがより古く、増川宏一
2はこちらのほうを将棋のルーツ
3としている。では、その概略について、増川の記述をもとに説明していこう
4。この四人制のチャトランガは、さいころを振って、順番を決め、その出た目にしたがって駒を動かして、遊ぶゲームであり、獲得した駒に応じて得点が加算されるもので、賭博としての性格を持っていた。また、この段階で駒は何種類かに分かれており、日本語に意訳すると歩(歩兵)、車(戦車)、馬(騎兵)、象(象軍)、王といった名称の駒が存在していた
5。そして、四組の駒は、赤、緑、黄、黒に色分けされており、その形は立像型であり、盤は8×8の64枡のものであった。チャトランガとは四つの要素、四つの組といった意味であり、チャトランガが4人で遊ぶゲームであって、古代インドの4つの軍制である象軍、騎兵隊、戦車隊、歩兵隊を模した駒を用いていることを示している。また、その頃小王国にわかれて争っていたインドの状況も反映されている。
この四人制のものが改良されてできたのが、二人制のチャトランガである。二人制のチャトランガは、四人制の駒を二組に分けたような形になっていて、盤も8×8の64枡のままである。四人制との違いは、さいころを用いる必然性が失われたために、さいころが用いられなくなり、プレイヤーの頭脳に依存するゲームとなったことである。また、二組の駒を一緒にすると、王が二つになってしまうため、その一方は将という名称となり、駒の種類が一種類増加した。この二人制のチャトランガは、基本において、現行の将棋の類と同じであって、ここに、将棋の原型が完成したと言える。
こうして完成した原将棋が世界各地に伝わって、様々な形に変化していったわけである。このうちインドより西のヨーロッパに伝わったのがチェスであり、東に伝わったものが日本の将棋や中国の象棋などである。世界には原将棋とも言える古代インドのチャトランガに始まり、西洋のチェス、中国の象棋、韓国のチャンギ(将棋)、タイのマークルック、そして日本の将棋と世界には様々な形をした将棋が存在しているが、そうした世界各国の将棋と日本の将棋は、どのような違いと共通点を持っているのだろうか。世界のどの将棋も王に相当する駒を詰ます、または取れば勝ちであるという勝利条件については同一である。しかし、その他の部分については、ルール及び外見の面で微妙に異なっている。各国の将棋の特徴について示したのが
図と
表である。
各国の将棋には、外見の点でいくつかの違いがある。まず、駒の形についてはマークルック、シャトランジ、チェスが立像型の駒を用いているのに対して、日本将棋が五角形、象棋が円形、韓国将棋が八角形とそれぞれ異なっている。ただ、日本・中国・韓国の3つは平面の駒に文字を用いて識別している点では同一である。また、駒の色はマークルック、シャトランジ、チェスでは敵味方で黒と白に、象棋と韓国将棋は敵味方で駒に書かれた文字が赤と緑に分かれている。これは、敵味方の識別のためであるが、日本将棋では敵味方いずれも黒である。そのため、敵味方の識別は五角形の先端の向いている方向によって行われる。
盤については左側の一群が8×8の64枡の盤を用いているのに対して、日本将棋の盤は9×9の81枡、象棋・韓国将棋の9×10と異なっている。象棋と韓国将棋は駒を線と線との交点に置くという点で他の将棋と大きく異なっている。ちなみに線と線との交点に置くようになったのは、囲碁の影響を受けて変化したからだと考えられている。
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駒の名称に関しては、各国によって様々であるが、王に関してはそれぞれ相当する名称がつけられているし、また、馬に相当する名称は各国に存在しているなど、共通点も多く見られる。名称に関しては、伝来の過程で駒の名称に相当するものがある場合にはその名称が、そうでない場合には、その国独自のものの名称が付けられたと考えられる。
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駒の動きについてみると、日本の将棋とマークルックは古代インドのチャトランガの動きに似ている。金将・桂馬の動きを除けば、日本将棋と古代インドのチャトランガは同じであるし、タイのマークルックも古代のものと同様である。それに対して、現代のインドのシャトランジや西洋のチェスは動きの点でかなり強化されているし、中国の象棋、韓国の将棋においても同様である。駒の動きは、時代を経るにしたがって強くなっていったと考えられるので、日本における将棋やタイのマークルックには原型の将棋に近い動きが保存されていると言える
8。それに対して、チェスなどは、後々に駒の動きが強化された結果、変化したということができよう
9。
こういった違いは、インドからの伝来の過程と各国における改良の過程、そして、その過程における文化的な影響の結果起こったと考えられる。ようするに伝来の過程でその国の実態に合わせて変化していったのである。そして、こうした改良は、古代インドでその時代の戦争を模倣したものとして生まれたという起源に関係しているものだと言える。例えば、日本将棋について考えれば、平面の駒を用いるという点が漢字文化圏に属する中国・韓国と共通である。また、一方で、日本独自の特徴もある。例えば、象の名称が用いられてないのは日本には象という動物がなじみのなかったあかしだろう
10。また、駒の動きが弱いものにとどまっていることからは、伝来した後、周りの動きから隔絶され、独自の発展を遂げたことが推測できるであろう。駒の再使用のルールも日本にしかない特殊なルールであって、日本独自の改良の歴史をを示しているものだと言えよう
11。
では、ゲームとして捉えた場合、細かな違いはどういった意味を持っているのだろうか。ゲームとしての面白さにはいくつかの要素があるがその一つには複雑性がある。駒の動きを比較してみると、西洋のチェスの駒の動きは全体として強力なものになっている。それは、日本将棋と比べるとかなり強力である。一つ一つの駒の動きが強力である方がゲームとしての複雑性は高いと言えるので、普通に考えるとチェスは複雑性が高いと言える。
しかし、日本の将棋と比べた場合には、チェスの方が複雑性が高いとは言えない。なぜなら、日本将棋には「駒の再使用ルール」という他の国の将棋とは大きく異なるルールがあるからである。他の国の将棋において取った駒は取り捨てであって、そのゲームが終わるまで再び用いられることはない。しかし、「駒の再使用ルール」のある将棋においては、相手から取った駒を持ち駒として使用することが可能である。これは画期的なルールであって、駒を再使用するというルールの発明によって、ゲームの複雑性が一気に高まることになった。
なぜなら、駒を再使用せずに取り捨てにするルールのもとでは、指し手が進むにしたがって、盤上から駒が減っていき、指し手の選択肢は狭くなっていくため、次第にゲームとしてつまらないものになってしまう。また、接戦になると互いの駒が数枚ずつで拮抗する結果になり、引き分けとなってしまう。実際、「駒の再使用ルール」のないチェスでは、上級者同士の対戦になるとその多くは引き分けとなってしまう。しかし、「駒の再使用ルール」がある将棋においては、ゲームが進むにしたがって、持ち駒という形で盤面のどこでも使える駒が増えてくるため、指し手の幅が広がりゲームとして複雑なものになっていく。そのため、将棋においては、ゲームが進行するのにしたがって、ゲームとしての面白さが増大していくのである。そして、引き分けになることはあまりない。この点が、日本将棋が、各国の将棋と比べて際立っている特徴であると言える。駒の動きという点では弱いにもかかわらず、駒の再使用ルールがあるために結果として他のどの国の将棋と比べても複雑なものとなっている。実際、チェスにおける可能な局面がおよそ10の120乗であるのに対して、将棋ではおよそ10の200乗も存在しているのである
12。
この「駒の再使用ルール」を可能にした要因について、大内延介
13は、日本独自の駒の形によるものだとしており、日本の将棋の駒が五角形でその先端を敵の方に向けることによって敵味方を識別しているため、可能になったとしている
14。他の国の将棋は敵味方を駒の色で区別しているため「駒の再使用ルール」は実現困難なのである
15。すなわち、「駒の再使用ルール」は日本でのみ実現可能であったのであり、これによって極めて特異なルールが作られ、結果としてその面白さが高まる結果となったのは、大変興味深いことである。
さて、将棋に類するゲームとの比較はこの辺で終わり、次に日本において将棋と並ぶボードゲームの代表格である囲碁と比較してみよう。囲碁は、将棋と同様に二人のプレイヤーが、敵味方に分かれて交互に指し手を進めていくゲームであって、純粋にプレーヤーの思考に依存するゲームである。しかし、ゲームにおける目的は異なっており、将棋が相手の王を奪う(詰ます)ことを目的にしているのに対して、囲碁における目的は、盤面を自分の石で囲って、相手よりも一つでも多くの陣地を確保するである。
この両者を比較した場合、囲碁の方が選択の可能性が広くより複雑なゲームであると言える。囲碁は、縦横19本の線の引かれた盤の上で行われ、線の交点に互いに黒と白の石を置きあってゲームを進めていく。したがって、19×19の答え381通りの可能性が最初の着手から存在していることになる。実際、囲碁の局面の場合の数は低く見積もっても10の300乗にのぼると考えられている
16。このように数字で見ると、囲碁の方がより複雑で奥の深いゲームであると考えられる。
しかし、将棋には、この前提を覆す別の要素が存在している。それは、先述した「駒の再使用」ルールである。このルールのもとでは、指し手が進むにしたがって複雑性が増し、指し手の可能性は増大していく。そのため、ゲームが進行するにつれて、ゲームの複雑性が増し、プレーヤーにより深い思考が求められるようになるのである。ゲームが進行につれて複雑化することが、面白さの増大につながるとは必ずしも言えないが、複雑性が増すにしたがって、プレイヤーにより高度な思考が求められるようになり、同時にプレイヤーがミスを犯す確率も増大する。そのため、ゲームが進むにしたがって、逆転の可能性が増し、よりスリリングな展開になっていく、これは、勝利が確定する寸前まで続くため、最後まで逆転の可能性が存在することになり、気が抜けないものとなるのである。こういった性質は将棋のゲームとしての面白さを増していると考えることができるだろう。それに対して、囲碁の場合には、指し手が進むにつれ、取りうる選択肢の可能性は小さなものとなってしまう。この点は、他のボードゲームにおいても同様である。日本将棋以外の将棋の類でも同様であったし、例えば、オセロなどその他のゲームも同様である。
もう一つ将棋と囲碁を比較した場合に存在する違いは、その普遍性である。囲碁は、中国で生まれたとされるゲームで、日本のみならず本家の中国や韓国をはじめとして、世界各国で親しまれている。なぜなら、囲碁で用いられる道具は、19×19本の線の引かれた盤と白と黒に分けられた石だけであって、どの国にも通用する普遍性を持っている
17。ところが、それに対して、将棋は、各国で異なる形態を持っているがゆえに、他の国に受け入れられるのは難しい。したがって、将棋も日本固有の性格を持って、主に日本でのみ親しまれることとなったのである。
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青野照市
18は、将棋を競技として位置づけた場合の位置づけについて次のように考えている。各種のスポーツ・ゲームなどの競技は二つの軸によって分類され、速度で勝敗を決するもの(A群)と得点で勝敗を決するもの(B群)、一対一の競技(1群)と人数に関係なく複数で競う競技(2群)の二つの分類区分によって分けられる
19。それによる分類を示したのが表1である。
この表は将棋の位置付けについていくつかのヒントを与えているように思える。例えば、この区分にしたがって、将棋や囲碁を競技として捉えた場合、将棋も囲碁も一対一の競技である点では共通であるが、将棋は、先に王を詰ました方が勝ちという点で速度で勝敗を決する競技であり、A−1群に属し、それに対し、囲碁は、地という形で石によって囲んだ広さの数を競うという点で得点によって勝敗を決する競技でありB−1群に属する。この表で見るととこの両者の異なった性格がはっきりと示されている。
また、この表では意外なことに将棋と同類であるはずのチェスや象棋を青野はAとBの中間に位置づけている。これは、チェスや象棋は進行するにしたがって、駒の数が減っていく性質によって、ある程度数学的に計算することが可能であることが理由となっている。例えば、チェスにおいては、駒が点数化されていてそれによってある程度まで双方の優劣の判断が可能になっている。すなわち、勝敗を決すると言う点では確かに速度が基準だが過程においては点数と言う要素も関係してくるわけである。それに対して将棋では場面場面の状況において評価すべきポイントが異なっていて、点数として評価することは不可能である。
そして、将棋と同じ分類のA−1群に属している競技との間には何らかの共通点があると考えられる。青野は、この分類に従って考えた場合、将棋と同じ分類になる競技には、日本古来の武道である柔道や剣道、また国技と言われる相撲など、日本の競技が多く含まれており、その多くは格闘技の類であり、こうした競技に共通するのは「間」あるいは「間合い」であると述べている
20。
これらの競技は、先に攻めたからといって勝てるわけではないし、また、一方的に攻めようとしても無理で相手の隙をうまくついて攻めなければならない。そして、勝負を決めようとする、大技をかけようとする瞬間がもっとも危険であり、逆に動いた反動をつかれてしまう危険性がある。つまり、常に相手との間合いを測って、戦いを進めなければならないのである。この点は、将棋においても共通であって、相手の弱点を的確に突く、相手のミスや隙を確実にとらえることが必要とされる。そして、ぎりぎりの差を保って勝つのがもっとも望ましい勝ち方なのである。そして、囲碁と将棋との比較の項で先述したように逆転の機会が多く最後まで気が抜けないのである。
このように日本固有の競技と将棋の間の共通性は、将棋が日本固有の性格を持っていることを改めて示している。将棋は日本固有のものとして発展、定着する過程の中で、日本の文化の強い影響を受けてきた。そのため、将棋が本来持っている一対一で勝ち負けを競い、その勝敗は純粋その能力に依存するという本質的な性格に、様々な要素が付け加わっている。そのなかでも大きな意味を持っているのは駒の再使用ルールであろう。これによって将棋は複雑性を増すことになったし、日本の格闘技と共通する最後まで気が抜けないという要素を持つことになったと考えられる。結果としてその起源においては共通であったチェス・象棋などとは異質のゲームへと進化を遂げてきたということができよう。つまり、将棋は、世界共通のベースを持っているゲームであると共に日本の文化の影響を色濃く受けたゲームであるといえ、その実態においては日本固有のゲームといってもよい独自性を持っているのである。