日本人と将棋序論


日本人と将棋

〜ゲームと人間の関係をめぐる一考察〜


序論

 1996年2月13、14日の両日にかけて行われた将棋の王将戦七番勝負の第四局で、挑戦者の羽生善治六冠王(当時)はタイトル保持者の谷川浩司王将(当時)を破り、その結果4−0のスコアで王将位を獲得した。これによって、羽生善治は将棋界にある七つのタイトルすべての独占を果たし、七冠王となった。このニュースは、全国ニュースで報道され大きな話題となった。また、誕生の前後のフィーバーは、一つの社会現象とも言える出来事であった。

 そして、この流れを受けて、1996年の秋から1997年の春にかけて放映されたNHKの朝の連続ドラマ「ふたりっ子」は、双子の主人公の一人が将棋のプロ棋士を目指すという内容で、題材の一つとしてプロの将棋の世界が取り上げられ、平均で29%の高視聴率1をマークした。このドラマは単に高い視聴率を獲得したのみにとどまらず、劇中で登場した歌手が実際に歌手デビューしたり、双子のヒロインの子供時代を演じた双子の子役が人気を得るなど、ふたりっ子ブームと呼べる現象が起こった。この中で題材として取り上げられた将棋もブームに一役買ったと言える。

 この二つの出来事は、日本において将棋が根強い人気を持っていることを示す出来事であった。実際、レジャー白書の統計によれば2、将棋の愛好者の人口は1210万人に上ると推定されており、近年減少傾向にあるものの依然として高い水準の人気を保っている。カイヨワの定義する競争の遊び3の一つとして将棋を位置づけた場合、その人口の面では、野球の1690万人よりは少ないが、卓球の1140万人、テニスの1030万人とほぼ同じぐらいであり、将棋としばしば対比される囲碁の410万人や柔道、剣道、空手などの武道を合わせた310万人を大きく上回っている。

 もっとも、遊び全体から見ると、その人口はカラオケの5690万人やTVゲームの3200万人などに比べてはるかに少なく、遊び全体としては主流にあると言い難いのも事実である。しかし、将棋は日本起源ではないものの日本に古くから存在しており、その形やルールにおいて日本独自のものを持っている伝統的なゲームである。実際、将棋は平安時代から親しまれていたとの記録があり、また、江戸時代以降、将棋は広く普及し、以来現在に至るまで長年にわたって、多くの人々に親しまれている4

 このことは、多くのスポーツ・ゲームが明治時代以降に外国より入ってきた外来のゲームであるのとは対照的である。また、同じように古くより日本に存在したゲームである囲碁をその人気という点で大きく上回っている。日本人が明治時代以降、西洋の文化を積極的に受け入れてきた中で、将棋に代わって、西洋のチェスが取り入れられたとしても不自然ではないし、また、囲碁の方が大きな人気を持っていたとしても不自然ではないだろう。

 にもかかわらず、趣味が多様化し、流行の移り変わりの激しい現在にあって、日本古来からの伝統を持つ将棋が、長年の歴史の中ですたれることなく、現在においても広く愛好されているのは大変興味深いことである。そして、将棋が他の古くからあるゲームの中でも特に高い人気を維持していることも注目に値する事実である。そこで、この論文では、日本に古くからあるゲームの中にあって、将棋が現在のような高い人気を保っている理由は何かについて考えてみたい。

 では、この理由を探る上でどういった観点が存在しているのだろうか。将棋が人々に愛好されている理由を求めるには、実際に将棋を楽しんでいる人が、将棋をどのように捉え、どのように接しているのか、どういった点に魅力を感じているのかという点からアプローチするのがふさわしいだろう。しかし、将棋が愛好されている理由について考える場合、これだけに限定することは困難であり、その他の観点からも検討しておく必要があるだろう。

 まず、将棋がゲームである以上、それが親しまれている背景にはそのゲームとしての性格に理由を求めることができるかもしれないし、また、今日に至るまでの経緯、すなわちその歴史にも現在のように将棋が広まるきっかけとなった要因が隠されているかもしれない。そして、現在において、多くの人に愛好されているのは、現在の将棋を取り巻く状況にその理由があるからかもしれないのである。

 そこで、この論文では、将棋が現在のような高い人気を保っている理由について、まず、将棋のゲームとしての性格、歴史、現在の状況の3つの視点からその要因となりうるものを検討し、その議論をふまえた上で実際に将棋を楽しんでいる人の視点を通して考えることによって、最終的な結論を導き出したいと思う。そして、その際の材料として、いくつかの文献、筆者が将棋部員に対して行った調査、筆者が長年将棋の世界で得てきた経験等を用いることとしたい。

 では、各章の構成について述べていこう。まず、第一章では、将棋のゲームとしての性格について述べる。この章では、将棋のゲームとして一般的な性格に始まって、各国にある将棋と類似したゲームとの比較、囲碁などの他のゲームとの比較を通して、将棋がゲームとして持っている独自性・特徴を示す。そして、その独自性・特徴の中にある将棋が愛好されている要因を探っていきたい。

 次に第二章では、将棋の歴史について述べる。人々が将棋にどのように接してきたのかについて、まず、一章で示す将棋の特徴を生み出すに至った日本における将棋の改良の歴史を述べ、日本において将棋がどのように完成したのかを示し、将棋の持っている独自性を明らかにしたい。そして、次に、そうして完成した将棋が広まっていった過程を述べ、その過程で現在のように広く愛好されるようになるのに役立った要因があったのかどうかを探っていきたい。

 そして、第三章では、将棋の世界について紹介したい。二章で述べた将棋の広まっていった過程についての記述を受けて、現在、将棋がどういった形で愛好されているかについて、プロ・アマの組織の実態とその活動や将棋と社会とのあり方を示すことで明らかにしていきたい。そして、その上で、それらが現在における確立した人気にどういった影響をもたらしているのかについて考えていきたい。

 続いて、第四章では、将棋人と将棋と題して、将棋を楽しんでいる人が将棋をどのように捉えているのかあるいは接しているのか、そして、どのような点で魅力を感じているのかについて述べていきたい。この章では人々が将棋に対して感じている魅力と実際の接し方を示すとともに、一章から三章で述べた内容をもとにして、人々が将棋を愛好している理由について考える手がかりを得たいと思う。

 そして、「まとめ」では、以上の分析をもとに、将棋が現在のような高い人気を保っている理由について、一定の結論を示したい。